父の肺癌闘病記の思い出

H29-05-17(水)

 父がなくなって、半年以上が立ちますので、非公開にしていた、闘病記を公開し父の冥福をみんなで祈りたいと思います。
 公開にするかどうかは、決定ではありませんがこのページをまとめたら、決めたいと思います。

 書いていた闘病記を読み返すと、その当時のことが思い出されますが、病院での治療内容が中心で、旅行に行ったとか、ラーメンを残さず食べたとかいった、闘病記としては、父の思い出が少ないように思います。
 そこで、父と一緒に闘った闘病記の思い出をここに付け加え、闘病中書いていた、闘病記は、そのまま修正せず残したいと思っています。

 良い思い出はありませんが、H27年8月17日に、父には、内緒で、あと余命1年という告知が、私と母と弟に先生から有りました。
 母が、H28年8月25日に退院(大腸がんの手術)してから、2ヶ月後のH28年10月26日になくなったので、母もしんどかったと思いますが、父の葬儀を無事終えたのも、父の頑張りがあり、母の退院とずれたことは、良かったと思っています。

 以下はと病中の思い出を書き綴りたいと思います。

 父の闘病中の一番の良い思い出は、H27年10月24日、25日に弟夫婦に鳥羽旅行に連れて行ってもらったことだと思います。
 母の話では、闘病中、家で何度も、旅行のアルバムを眺めていたそうです。
 また、入院し意識が朦朧とし、言葉が聞き取りにくなった時、鳥羽、鳥羽と言っていたので、母は、旅行のことを思い出しているのじゃないかと言ってました。

H29-06-26(月)

 父が亡くなられて、8ヶ月立ちます。
 一年前の今時分は、父は自分で運転して、毎日コメダ珈琲にモーニングを食べに行っていた。
 いつ頃まで、自分で運転していたか覚えないが、最後の方は、父の友人に乗せてもらい、死ぬ1ヶ月半前ぐらいまでは、コーヒーを飲み行っていた。
 昔は、ホットコーヒーをブラックで飲んでいたが、最近は、冬でも、アイスオーレを好んで飲んでいたみたいだ。
 たまに父とモーニング食べにいたが、必ず、ストローの袋をねじり、こよりを作っていた。
 母が、相手変われど主変わらずといっており、病院などの都合で来られない人から、誘われると、必ず一緒に行っていたので、母が父に皮肉をいったみたいだったが、父は、何も応えてないようだった。
 父が言うには、テーブルを2つ繋げるところを取っていたと言っていたので、かなりの仲間がいたみたいだが、母が言うには、父が死んでからは、集まりが悪いみたいだ。
 冬に、モーニングに出た卵の余った物を持って帰り、おでんに入れたことが有ったが、母に、恥ずかしので止めてくれと言われたことも有った。
 父の話では、常連てことで、トーストのパンの耳を落としてくれとか、丸焦げとか言う特注メニューが有ったそうです。
 癌になってしばらくしてから、母が言うには、話し好きの父が、あまり喋らなくなった、と友人が言っていたが、それでも、コメダ珈琲に行くことを楽しみにしていた。

H29-08-05(土)

 父が亡くなられて、9ヶ月立ち、父のいない祇園祭を迎えました。
 昨年の祇園祭は、母の大腸がんの手術入院で、母がいなく自分も疲労のピークで、記憶のない祇園祭でした。
 父は、祇園祭が好きでしたが、母がお客の世話を私がするのは、たまらんと文句を言っていましたが、その光景がなつかしいです。
 今年の祇園祭は、母と私の二人で、客人のいない祇園祭です。
 台風の影響か天候は、暑くないが、はやて雨もある、絶好の天候でなく、花火大会の時に雨が降らなければ良いなと思いこの文章を書いています。
 母も、何もしなくて良いのはらくだが、退屈だと言って、居間で寝転がってテレビを見ています。
 父のいない祇園祭は、寂しいが、こんな静かな祇園祭もありかなと思います。
 父の冥福を祈り静かな(私の家だけ)祇園祭を楽しみたいと考えています。

H29-09-21(木)

 今日夢で、父が亡くなって、弟が悲しくて泣いている夢を見、自分も悲しくて泣きそうになった時に目が覚めた。
 父が亡くなって寂しい気持ちは有りいましたが、悲しいとは、あまり感じていなかったが、そんな夢を見るので、心の底では、悲しいという気持ちが一杯あるんだなーと思いました。
 10月14日(土)に父の一周忌法要があります。
 父の肺癌闘病記を公開するかどうかは、その時決めたいと思いますが検索でこのページが出るようにはしておきたいと思いますのでこのページにリンクを張ります。
 短い入院期間でしたが、最後の方に何か言おうとしていたが、聞きづらくて、ごめん聞き取れないと言ったら、父がかすれた声で「あほ」と言ったのが最後の発した言葉になった。
 母が言うには、父は自分がもうあかん様になったら、私と弟に、兄弟仲良くやっていく様なことを言うやと言っていたのでそれを聞き取れなかたのは、残念であるが、今の状況をに、父は満足すると思います。
 今年になって弟が鯛を釣ってきてそれを、弟が三枚に下ろすのを見て、母が父にも見せたかったと言っていますが、父もあの世で驚いていると思います。
 また、今日の夜、冷凍ぶどうを母と食べ、昨年の今頃は、父の食欲は無く、冷凍ぶどうや冷凍バナナを食わして、薬をのませたなーと話し、日頃から、父が氷や、アイスキャンディーを好んで食べていたのを懐かしく思い出しています。

H29-09-22(金)

 いろいろ考えたが、父の肺癌闘病記を公開することにした。

H29-10-16(月)

 去年書いた闘病記には、18日〜26日までの記録はあるが、その前は、入院した日(13日)が書いてあるだけだ。
 去年の今日までは、後10日以内に父が亡くなるとは思っていなかったんじゃあ、ないかなー。
 一昨日、10月14日に一周忌法要があり、今は、一段落してホットしているところだ。
 一周忌法要の挨拶で、
 父はいい死に方をしたと思っています。
 母は、十二分に面倒見たと言っているし、父は、延命処置を受けること無く、最後まで、友人や親戚の人や家族の励ましを感じながら、死んで行き、父らし最後だったと思います。
と言おうとしたが、言わなかったので、ここに記します。
 父は、入院せん、孫爺さんみたいに喰喰死ぬんやと母に言って、母が、そんなわけにはいかんやろと。
 こんな会話の内容を母は、今でも口にします。
 父の肺癌闘病記の思い出なので、この後も続くかどうか判りませんが、区切りがついたな〜と感じております。

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